AHIができるまで

ネパールでの出来事

私は3ヶ月間、病院内でただ一人の外科医として、早朝から深夜まで次々とおとずれる人々のために手術室を離れることができませんでした。 そんなある日、26歳の女性が夫と一緒に、二日間かけて病院までやって来ました。

膝には腫瘍があり、ひと目で非常に進行した皮膚ガンだと分かりました 検査の結果、骨までガンが達していることが分かり、 「すぐにあなたの右脚を切断しなければならない。そうしなければあなたの命までも失うことになってしまいます」と告げました。 ところが、彼女は少し考えて「切らないでください」と言ったのです。 そして続けてこう言いました。 「私が死ぬのは悲しいことです。しかし私が死ねば、貧しい私の夫にも新しい妻が来てくれることでしょう。 そしてその健康な新しい妻は私の子どもたちの世話をし、夫を助けて働くことができます。 でも、私が脚を切って何もすることができなくなったら、貧しい我が家は全滅するかもしれません。私にはそんなことはできません」

自分の命よりも家族を大切に思う彼女のこの言葉に、私は大きな衝撃を覚えました。そして彼女との出会いが、私の人生を大きく変えました。

AHIの設立

日本に戻った私は、アジアの村の中で人びとが自分たちで健康を保つことができるように、保健や生活を村の人と一緒になって改善していく人を増やしていくことが大切だと考えました。

そして、アジアの人びとの健康の増進を目的とするアジア保健研修所(AHI)を1980年に設立しました。

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