トップ  >  「アジアの健康」2009年2月号


『アジアの健康』2月号2‐3ページ拡大版!踊り手さんに聞きました!

オープンハウスのステージで演じられるアジア各地の踊り。
毎年楽しみにしている方、あるいは通りかかってつい見入ったという来場者も多いことでしょう。
踊ってくださるのは、近隣の舞踊グループの方々です。
華やかな踊りや音楽、衣裳で注目を浴びる踊り手さん自身は、オープンハウスをどのように感じているのでしょうか。
バリ舞踊が趣味の委員が、同じ踊り手の立場からインタビューしました。

海風エイサー 仲宗根広子さんx

AHIとの関わり
2007年に、以前から出演していた「わしたユンタクまいふなエイサー」を通じてお話があり、合同で参加しましたが、2008年は単独で出演させていただきました。
AHIについては、出演がきっかけで初めて知りましたが、参加させていただいたことで、多少AHIやオープンハウスのことが分かってきました。
2008年に拠点の岡崎市で「おかざき沖縄まつり」という毛遊びのイベントを開催し、大盛況でしたので、2009年の4月26日に第二回目を開催します。
当初、資金も伝手もなくて大変でしたが、周囲の協力で実現できました。おかげで信頼ができて各方面から少しずつオファをいただくようになりました。

オープンハウスの舞台裏、印象は?
当日の動きとしては、2008年の場合は13時に現地集合となっていましたが、私たちは12時ごろに到着しました。
アジアンランチを食べてみたかったですが、行ったときは売り切れでした。
でもスカル・サリの舞台を観ることができてラッキーでした。
実は子供のころバリ舞踊を習っていたことがあるので、とても懐かしく感じました。
私達の出番は3時半からでした。メンバーの中にはAHIの活動に興味がある人もいるのですが、当日は出演で手一杯ですし、片づけもあるので、ワークショップなどには、時間的に参加できませんでした。
アジアからの研修生の皆さんはノリがいいですね!一般的な観客とは全然違います。
体験タイムでパーランクー(小太鼓)を扱うときには、パーランクーが足らなくなるほどで、カチャーシー(最後に踊る曲)のときには、曲が終わっても誰も踊り終わらなかったほど。他の会場ではあまり無いことです。
アジアの人たちと、こんなに楽しくふれ合う機会は滅多に無いので、とてもうれしかったです。
できれば研修生の皆さんたちと直接お話ししてみたいですね。英語ができればいいのにな、と残念に思いました。
海風エイサーの演舞は楽しく観てほしいと思っています。明るさと元気を振りまき、観客が笑顔になるのが一番うれしいです。
そのために、実際は体力が要る踊りですが、心からの笑顔で踊ることを心がけています。

海風エイサーについて、仲宗根さんとエイサー
4年前に海風エイサーを結成してから、ずっとレベルアップの努力をしてきました。
いわゆる伝統的なエイサーとは違うところもありますが、自分たちがやりたい形をめざして行きたいと思っています。
演目や楽曲は、昔からのものもありますし、沖縄のクラブチーム型グループのものもレパートリーです。
オリジナル以外の創作演目についてはその所有団体に出向き、許可をもらって、その創作に忠実に演舞します。
アレンジが必要な場合も許可をもらってアレンジしています。
無断のコピーが目に付きますが、やはり創作者は尊重しなければならないと思っています。
海風エイサーの基本は大太鼓の演舞で、希望者は大太鼓ができるようになってから締太鼓、パーランクーの順にマスターしていきます。
私自身は岡崎で生まれ育ちましたが、父親が沖縄出身です。
復帰前に初めて父親の故郷に行ったとき、「我々は日本人なんだ、沖縄の現状を内地で伝えてくれ」と言われ、非常にショックを受けました。
以来ずっと使命感があり、話題にしましたが、当時は関心を示してくれる人がほとんどいませんでした。
私自身の長い間のわだかまりはその後、「おかざき沖縄まつり」の開催で自分に区切りをつけました。
12年ほど前に沖縄に行ったとき、たまたまエイサーを見て、全身の血液が逆流したような衝撃を覚え、これが踊りたい!と思いました。
でも当時は女性が太鼓を持って踊ることはなく、復帰後は可能になったのですが、年齢を気にして躊躇していました。だってエイサーって普通は若い人がやるものでしょう。
転機は4年前、膝の故障で歩くのもままならない状態になったときです。
やりたかったエイサーのことが心残りで、今を逃せば一生後悔すると思いました。
一念発起し、エイサーのために手を尽くして治療しました。完治しないままでエイサーを始めましたが、今は跳んでもまったく痛みませんよ。
膝のことをあまり強調するつもりはありませんが、体調や年齢を気にしてやりたいことを躊躇している人の参考になればと思います。

次回のオープンハウスではここに注目!どんな踊りなの?
エイサーは、簡単に言えば沖縄の盆踊りです。
浄土宗系の念仏歌に合わせた門付け芸能や、盆の時期に集落の青年たちが家々を廻って踊った芸能がもとになっているようです。
地域によって時期・楽曲・形態などは様々ですが、現在も集落の青年会によって伝承されています。
戦後に始まった沖縄市の「全島エイサーまつり」や、クラブチーム型のエイサー団体の普及などにより、県外にも勇壮な伝統芸能として知られるようになりました。
いわゆる民俗芸能がルーツなので、古典舞踊にはない親しみやすさや、新民謡などさまざまなものを取り入れる柔軟さが魅力です。
よく演じられるのは、昔からのものでは、親孝行を説く「仲順(チュンジュン)流れ(ナガリ)」、遊び人の行状を語る「久(ク)高(ダカ)万寿主(マンジュースー)」、蝶に大切な人への伝言を頼むという「スーリ東(アガリ)」など、新しいものでは、豊作の様子をうたった八重山古謡をもとにした「ミルクムナリ」や、BOOMのヒット曲「島唄」などがあります。
最後に踊るカチャーシーは、貿易船の寄港の様子を歌った「唐船(トーシン)ドーイ」が有名です。

スカル・サリ(バリ舞踊) 田村裕美さん

AHIとのかかわり、オープンハウス当日のスケジュール
オープンハウスへの出演は2001年からなので、今年で8年目です。
すぐに思い出せないほど長いおつきあいですね。
きっかけは、同年5月に出演した三好町の国際交流イベントです。
AHIもブースを出していて、オープンハウスでも是非ということになりました。
当日は、AHIに9時半に集合し、開場前に場アタリをします。
ふだんはアジアンランチを食べる暇がないのですが、先回はメイクをした時点で買いに行きました。おいしかった!
出番はいつもお昼過ぎで、去年は1時15分から45分でした。
そのあと観客とおしゃべりしたり写真を撮ったりしていると2時頃になり、片づけや着替えを終えると3時ごろ。
イベントはほとんど終わっていて、ワークショップなどには出られないです。
研修生とは、お会いするとフレンドリーに接してくださいますが、お話する時間はあまりなくて残念です。
舞台配置などは毎年同じですが、プログラムがあらかじめ分かっていれば、ほかのイベントにも参加できるかもしれません。

オープンハウスについて
オープンハウスの観客は家族連れが多いように感じます。
ステージと客席との境界があまり区切られていないところが、ほかの場所とは違いますね。
歓迎の踊りで花を撒くと、子どもが拾いに寄ってきたりします。
AHIのエリア全体がお祭りの雰囲気で、ステージだけが特別な世界ではありません。
研修生もいますし、サリー姿の人などもいて、客席からもアジアのいろんな国の雰囲気がします。
出番でないときは、周囲からあまり浮かず、単なる通行人になれる感じです。
いい意味で気楽に踊れ、気兼ねなく観てもらえる場です。
ほかのメンバーもオープンハウスの雰囲気を楽しみにしていて、出演というよりも、遊びに行くような感じです。
オープンハウスの観客からは、指の動きに意味はあるのかとか、バリではどういう時に踊るのかとか、衣裳の素材など、踊りそのものに関する質問が多いです。
バリに行ったことがある人と、ローカルな話になることもあります。
他の会場では、バリの地図上の位置や気候などについて聞かれることがありますが、オープンハウスの参加者には自明のことらしくて、この類の質問がきたことはないです。
百聞は一見に如かずで、踊りを観ることは、その国の特徴が分かりやすいのではないでしょうか。

x編集委員がみた田村さんの素顔
さまざまな仕事や活動を経て、演劇や日本舞踊には本格的に関わっていらしたにもかかわらず、今はバリ舞踊に専心されている田村さん。
踊りや演技以外に、振り付け・絵など、バリ舞踊以外にもとても豊富な引き出しをお持ちです。
すべての踊り手さんに言えることですが、踊りには一見あまり関係のない個人の様々な背景が、踊りに独自の深みを出すことを、田村さんとお話していて実感しました。
実はインタビューのときも、オペラ・オオカミ・沖縄と、編集委員の著しく個人的でコアな好みの話題にもお付き合いくださいました。
詳しくはぜひ、スカル・サリのホームページ掲載の田村さんのエッセイをお読みください。

次回のオープンハウスではここに注目!どんな踊りなの
バリ舞踊には、寺院での奉納、民衆の娯楽、近年の創作と、さまざまな種類があります。
伴奏は青銅製の打楽器のオーケストラであるガムランです。
インドネシアがオランダの植民地であった近代、バリの芸能はヨーロッパに紹介されて芸術家の注目を浴び、広く知られるようになりました。
目の動きや微細な指の動きが印象的ですが、つねに中腰で踵に重心をおくのが重要な基本です。
2008年の演目は、お姫さまが男装して婚約者を捜す物語「パンジ・スミラン」、蜜蜂の求愛を描いた「オレッグ・タンブリリンガン」、勝利の若者を意味する「トルナ・ジャヤ」でした。
他には、花を撒いて舞台を浄める歓迎の踊り「ガボール」・「パニャンブラマ」、寺院の儀礼で神を迎える神聖な踊り「ルジャン」、王宮の侍女の踊り「チョンドン」、森の王者の狩りを表現した「マルガパティ」などがよく演じられます。
次回はどんな踊りが観られるでしょうか、楽しみです。

沙羅双樹(さらそうじゅ)(南インド古典舞踊) 巽 知史(たつみ さとし)さん

AHIとの関わり
インド古典舞踊と出会って今年で17年。日本人の男性インド舞踊家のパイオニアとして、これまで並々ならぬ情熱をもって舞踊に携わってきました。
数多くの出会いが、今の自分をここまで導いてくれたと感じています。AHIとの出会いもそのひとつです。
中学校で英語の常勤講師として勤め始めた2001年に、研究授業のテーマとして、川原先生が主人公として登場する題材を選んだのがAHIとの出会いでした。
授業では元研修生の方をゲストとしてお招きし、そのおかげもあって大成功しました。ここから私の英語教師の道が始まったと思います。
川原先生には来校して講話もしていただきました。
私自身も川原先生の生き様に強く感銘を受け、生徒たちにとっては教科書に登場する人から現実に話が聞けるのですから、とても幸せな経験でした。
この授業の準備のため、AHIの「はじめて講座」に出席し、その出会いをきっかけに、以来ほぼ毎年オープンハウスに出演させていただいています。
AHIの活動に舞踊家として携わることができることを、とても嬉しく思っています。

オープンハウスとはどんな舞台ですか?どのように準備されるのですか?
オープンハウスの観客は、さすがアジアに関心の高い方が多く、熱い視線を感じます。
当初は、私と妻の幸恵2人で出演しておりましたが、ここ数年は私たちの舞踊の生徒も出演させていただくようになりました。
今では発表の場として、生徒の目標になっています。私自身は裏方への転身も考えましたが、楽しみにしてくださる方もいるとうかがい、出演を続けています。
準備を始めるのは、2か月ほど前からでしょうか。生徒たちは、もともと練習を積んでいる演目をオープンハウス用にアレンジして、さらに練習します。
自分たちの準備は2週間くらい。当日の時間などは、実行委員会のアレンジにお任せします。本番の準備にかかる時間は、私が1時間くらい、幸恵が2時間弱です。
いつも最初に踊るのは「プシュパンジャリ」。献花の舞です。初めに舞台を浄めて四方の神々に舞台の無事を祈願し、災いを取り除くガネーシャ神に祈る踊りです。

※巽さんについては、以上は主にメールでのご回答を編集しました。以下は電話でのご回答をまとめました。

巽さんとインド舞踊
もともとアジアやオリエントといわれる地域に関心があった巽さん。
大学時代に大阪の国立民族学博物館で、偶然バラタナーティアムをみて「これだ!!」と強い印象を受け、卒業後に日本人の櫻井暁美先生について習い始めました。
当初はオリジナルな方面も追求し、コンテンポラリー・ダンスや舞踏にも目を向け、ドイツでコンテンポラリーの表現活動をされた時期もありました。
信仰しているわけではないインドの神々を表現するジレンマや、自分なりの表現をしたいという気持ちがあったそうです。
古典に焦点を絞り、本格的に取り組みたいと思い始めたきっかけは、グルジ(師匠)であるC.V.チャンドラシェーカー師の舞踊をみたことです。
舞踊の学び方は様々ですが、巽さんは日本で基礎を学び、インドで演目や表現の本質を磨きました。
奥様の幸恵さんとは、民博でのバラタナーティアムとの出会いを共有していて、後日同じ師匠につき、インド留学もほぼ同時期、いっしょに舞踊家としての研鑽を積まれてきています。

次回のオープンハウスではここに注目!どんな踊りなの?
広大なインドには、数多くの伝統芸能があります。
巽さんが披露してくださるのは、南インドの「バラタナーティアム」という古典舞踊です。
起源は南インドのヒンドゥー教寺院において、儀式で巫女が奉納していた舞踊。一説には3000年の歴史があるともいわれます。
10世紀から13世紀ごろに、現在の踊りのもとになる形が成立し隆盛しました。
忘れかけられた時代もありましたが、20世紀にはパフォーミング・アーツとして再生し、もとは女性の舞踊でしたが男女ともに舞台に立つようになりました。
チェンナイに舞踊学校が設立され、外国人にも門戸を開きました。
バラタナーティアムの基本は、中腰で足を菱形に開く姿勢と、音楽のリズム、それに合わせた足踏みなどです。
振り(おおむね決まりがある)と音楽の組み合わせによって音楽を目に見える形にすること、また浄瑠璃のような語りにあわせて、手の動きや眼・表情でストーリーを語ること、この2つの組み合わせが、バラタナーティアムのおもしろさです。
衣裳や装身具などは、当然ながらすべてインドから持ってきたもの。
女性の衣裳は、一般的なサリーと同じく一枚布の場合と、部分的に仕立ててある場合があります。
幸恵さんの衣裳は、インドの仕立屋さんで、舞踊衣裳としてジャストサイズに仕立てたものです。
知史さんの衣裳は、服飾の研究者から、昔の日本の袴に近い形だと指摘されたこともあるそうです。
仏教の菩薩像にも似ていますね。
間近でみる機会があまりないインドの伝統的な装身具も、踊りとともにオープンハウスの雰囲気をたかめます。

〈担当編集委員のあとがき〉

踊りには、踊り手の人となりが自然と表れるものです。
AHIとの関わりは三者三様ですが、それぞれの踊りが、その芸能との出会いから今までの関わりの全てが凝縮された表現だということが、インタビューしてとてもよく分かりました。
私はバリ舞踊を習っていて、以前に少しだけエイサーをやったことがあります。
ですから、田村さんと仲宗根さんのお話は、自分や踊り仲間とは異なる視点での新鮮な発見もありました。
バラタナーティアムだけは体験したことがありませんが、AHIの高校生のアジア講座に通っていた前後から興味を持っていたので、巽さんへのインタビューは、とても楽しい役得でした。
参加型のイベントであるオープンハウス、芸能も同じです。
体験タイムに後込みしてしまう方は、次回からは超積極的になることをオススメします。
踊り手の目線が少しでも加わると、観る楽しさも倍増するものです。
また踊り手さんたちは、オープンハウスのボランティアでもあります。
機会をつかまえて、ここでは紹介していない疑問点などを、踊り手さんに直接聞いてみるのも楽しいですよ。

〈参考文献〉

  • 宮尾慈良『これだけは知っておきたい 世界の民族舞踊』新書館、1998年
  • 宜保榮治郎『エイサー 沖縄の盆踊り』那覇出版社、1997年
  • 沖縄全島エイサーまつり実行委員会『エイサー360゜―歴史と現在―』那覇出版社、1998年
  • 吉田禎吾編集『神々の島バリ バリ・ヒンドゥーの儀礼と芸能』春秋社、2006[1994]年
  • 渡辺赫・伊藤博史・佐藤由美・他『バリ島 楽園紀行』とんぼの本、新潮社、2004[1996]年
  • 宮尾慈良『アジア舞踊の人類学 ダンス・フィールドノート』PARCO出版、1990[1987]年
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