「読んで考え、書くは長寿の道」

中村 道太郎(なかむら みちたろう)さん 96歳(2008年当時)

中村さん

 「油濃いものが好きで、野菜は割と好まないな」

 地下鉄の駅を出ると、
 ビルを見下ろすほどの大きな朱塗りの「中村の大鳥居」が、
 目に飛び込んできた。
 それは秀吉生誕の地にたつ豊国神社の参道にある。
 鳥居の脇の和菓子屋と民家の間に、中村さんの長男暁さんの内科医院。
 待合室を抜け、階段を上がると、中村さんは笑みをたたえてソファに座っていた。
 ぶしつけな質問にも飄々と応じて下さった。

 

 ――張りがありますね、お声に。
 「補聴器をつけていますが、食欲はあります。
 膝と目がどうも加齢性の症状で弱っています。他は大丈夫」
――なんとステーキと鰻が好物とか。
「以前は毎週一回ぐらい食べた。
いまは月に一回程度かな。
脂濃いものが好きで、野菜は割と好まないな」
――少々、太りすぎですか。
「七十九・三キロ。標準体重はさあてと。
禁煙で肥えちゃった」
――愛煙家ですね。
「先の大戦で軍医として招集を受け、作戦行動中、
配給されたたばこを当番兵から勧められて、初めて口にしました。
二十九歳だった。
医師会長になってやめていましたが、
パーテイの席で一本もらって吸ったのが運のつき。
禁煙に失敗しました」

 

「家内が病床に就いてから禁煙に成功、今日に至っています。
お恥ずかしい次第で」

 

AHI初代理事長

AHI 設立を目指す川原啓美さんは、
愛知県医師会長の中村さんと、
元大手銀行役員で財界に信用があった西村善四郎さんに助力を求めた。
クリスチャンの二人は旧制名高商、
名古屋医大の学生時代にYMCAの同志だった。
「医学でキリストの信仰を全うしたいと考えた青年時代を思い出してね」。
中村さんは初代理事長、西村さんは理事を引き受けた。

 

中村さんは「最強の集票力を持つ」と言われた県医師会で会長を七十六歳まで務めた。

 

映画好きは父の影響

起床は朝五時半。
新聞三紙を丹念に読み比べ、スポーツ紙でドラゴンズ情報を追う。
月刊誌や単行本数冊を並行して読む。
時に傍線を引き、買い増しし、知人らに贈る。
テレビを観る。
俳句が浮かぶと書きとめる。
長年続けていた新聞の切り抜きは、
「あんた、いつまで生きているつもりですか、と家内が笑うのでやめにした 」。
替わってテレビの録画をする。
床に就くのは、日付が変わるころになる。

 

膝の不調で外歩きは控えている。
だが、時にタクシーを飛ばして好きな映画を観に行く。
映画好きは歯科医の父房吉さんの影響のようだ。
教会の日曜礼拝のあと、道太郎少年を連れて活動写真館に通った。
八十数年前の無声映画「椿姫」の弁士の口調を、いまもそらんじている。

 

 

「遺棄屍体そばに咲く野菊一輪」

プロ野球選手、俳優、脚本家…多彩な人脈と交友。
多くの人たちと巡り会った。
巡業の十二歳の美空ひばりに付き添う母親を診察もした。

 

山口誓子の直弟子、村上冬燕さんとは「義兄弟の仲」だ。
俳人村上さんは外科医師で元小牧市民病院長。
妻泰子さんは眼科医で、中村夫人の小児科医師実枝子さんの妹でもある。
住いも近く、両夫婦は親しかった。
団欒の折、俳句に触れることもあった。
「今思うとしっかり教わっておけばよかった」。
思い出の句をしたためた紙片を、気恥ずかしそうに見せてくれた。

 

「もみぢ狩先の雷雲漆黒なり」
両夫婦が美濃に遊んだときの作だ。

 

「遺棄屍体そばに咲く野菊一輪」
戦場で戦争のむごさと対時して詠んだ。
「なぜ人は闘い、争うのか」。

 

体内の細胞液までに蓄積したその膨大な「時間と記憶」

たばこを断って看取った実枝子夫人は二年前、九十二歳で亡くなった。
村上夫妻、西村さんも既に他界した。

 

明治と大正の境目に誕生し、激動の昭和を越えて間もなく百年。
起居の所作がやや緩慢になるのは、膝の不調だけではなく、
体内の細胞液までに蓄積したその膨大な「時間と記憶」のせい、ではないだろうか。

 

教会建設に父や夫人と共に奔走もした。
「積善の家に余慶あり」。
亡父の口癖をいま、家族の前で繰り返す。

AHI会報「アジアの健康」2008年8月号

文:山