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希望のバトン

ミャンマーの農村から一歩づつ

 

僕(ぼく)はジャクソン。 ミャンマーで一番大きな都市、ヤンゴンで生まれた。

家族は牧師(ぼくし)の父(とう)さん、看護師(かんごし)の母(かあ)さん、そして兄さんが2人。

父さんはヤンゴンの教会に住んでいた。

母さんの仕事は、あちこちの農村をまわる巡回(じゅんかい)医療(いりょう)。

僕たち兄弟は母さんと一緒(いっしょ)に いろんなところに引っ越(ひっこ)した。

でも4年生の時には 家族みんなで住めるようになった。

子ども時代の一番の思い出は誕生日(たんじょうび)!

ケーキとプレゼントを買ってもらって、 礼拝(れいはい)の後、みんなにお祝いしてもらった!

正直いって、勉強はあんまり得意じゃなかった。 特に英語…。

 

でも本は大好きだったよ。

最初はマンガばっかり読んでたけど、

ある時期から物語も読み始めて、夢中(むちゅう)になった。

よく教会の図書室に入(い)り浸(びた)って、本を読んでたよ。

 

 

 

 

 

それ以外は、サッカー、サッカー、サッカー!

僕はゴールキーパーだったんだ。 あんまり強いチームじゃなかったから、

僕のところにボールがどんどんきて まいったよ!

チームの中で特に仲が良かった、5人組。 いつも一緒だった。

 

 

 

 

ある日、みんなでふざけて 弁当(べんとう)を大きな皿に入れて

ぐちゃぐちゃにまぜて食べたんだ。

まずくてすぐに 全部吐(は)き出しちゃった!

その後みんなで ゲラゲラ笑ったよ!

 

 

ミャンマーの他(ほか)の子どもたちに比(くら)べたら、

ずいぶん恵(めぐ)まれていたんだと 気付いたのはずっと後になってからだった。

 

 

小学校を卒業後は、中学、高校、工業大学と進み、

卒業後はエンジニアとして公務員(こうむいん)になった。

毎月決まった給料がもらえて、宿舎(しゅくしゃ)もあって、生活には困(こま)らなかったよ。

 

働き始めて7年たったとき、上の兄(にい)さんが亡(な)くなった。

兄さんはそのころ、ミャンマー中部のネピドーにあるYMCA(※)で働いて、

地方で農業指導(しどう)をしていた。

お米の収穫(しゅうかく)の大事な時期にひどい洪水(こうずい)がおこり、

無理をしたあげく、マラリアにかかってしまった。

 

ひどい下痢(げり)で、体が衰弱(すいじゃく)してしまった。

近くにちゃんとした病院さえあれば。

もっと早く 適切(てきせつ)な治療(ちりょう)が受けられていたら、 と今でも思う。

 

YMCA

Young Men's Christian Association (キリスト教青年会)

キリスト教に基づき、世界各国で、教育・スポーツ・福祉・文化などいろいろな活動をしているNGO。  

 

兄さんだけじゃなく、洪水のたびに、 マラリアや他の感染症からの下痢でたくさんの人が死んでしまった。

今は洪水対策(たいさく)が進んだ地域(ちいき)もあるけど、他の農村部ではまだまだだ。

ある日、父さんが僕を訪(たず)ねてきて、 兄さんの仕事を引き継がないかと言われた。

それは僕にとって全く経験(けいけん)のない仕事だったし、給料も安い。

全(すべ)てが大きな変化だ。 でも、父さんが話す有機農法が、

ミャンマーの未来にとってすごく重要だと強く感じたんだ。

僕は、兄さんからのバトンを引き継(つ)ぐことにした。  

 

 

今、僕は42才。 農業の指導も続けながら、ネピドーYMCAの代表として働いている。

ミャンマーには大きな都市にしか病院がない。 でも国民の半分以上は田舎(いなか)で農業をしているし、

たとえ行けたとしても診察(しんさつ)代や薬代は高くて払(はら)えない。

そんな人たちのために、僕たちは農村部で保健(ほけん)活動をしているんだ。

でも、このあいだ僕たちの移動診療所(しんりょうじょ)に来た出産間近の 妊婦(にんぷ)さんは、

なんと逆子(さかご)で 診療所じゃとても手におえなかった。

なんとか町の病院まで運んだのに、今度は あれこれと質問(しつもん)するばっかりで、 患者(かんじゃ)を受け入れてくれない。

僕たちの診療所やスタッフは国の認可(にんか)を 受けていないからというんだ。

とうとう間に合わず、 そのお母さんは亡くなってしまい、 赤ちゃんも救えなかった。

助かる命だってたくさんあるのに…。  

 

 

都会と地方の差は、保健サービスだけじゃない。学校もそうだ。

貧(まず)しい山村には、勉強したくても出来ない子もたくさんいる。

お金がないから、学校がないから、家の手伝(てつだ)いをしなきゃいけないから。

先生の数も、教室も数も、授業(じゅぎょう)の中身もぜんぜん十分じゃない。

貧しい家の子は、ちゃんとした教育が受けられなくて、

いい仕事に就(つ)くのも難しく、結局貧しさから抜(ぬ)け出せない。 

 

・・・その繰(く)り返(がえ)しだ。  

 

だからYMCAでは寺子屋もひらいてる。

寺子屋に来てる子どもたちの親は、ほとんどが貧しい日雇(ひやと)い労働者。

でも、だからこそ、教育の大切さを知っている。

しっかり勉強して、ミャンマーの将来(しょうらい)をつくっていってほしいと思っている。

 

 

お金のあるなしにかかわらず、学校で勉強が出来る国。

都会でも、農村でも、病気になったらすぐにお医者さんに診(み)てもらえる国。

ミャンマーをそういう国にするという希望をもって、 僕は毎日働いている。

 

 

今、寺子屋で勉強している、君たちと同じ小学生が、 その希望をつなぐ大人(おとな)になれるように。

彼(かれ)らがその希望のバトンを引き継いでいってくれれば、 その日はきっと来ると思う。             

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