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 ピーステーブルへようこそ!


 


 


 


 


              ーフィリピン・バシラン島からー


 



 


                                                                         


私はレイザ、5才。


住んでいるところはバシラン島ラミタン市の村で、結構山の中なの。 




  今年、ラトゥアン小学校の1年生になったよ。



  1.  私の家族は、お父さん、お母さん、

  2. それに2人のお兄ちゃんの5人家族。

  3. お母さんはいつもスカーフをきちんとかぶっているけど、私はあんまりかぶらない。

  4. お父さんは「かぶりなさい」って言わないもん。




ここが私の家。とても小さいので、暑い時は外でゴザをいてごはんを食べるの。


家族がそろうと、みんなで輪になってって、まずはおり。今日は、キャッサバのパンケーキとお魚のスープ。


それからお父さんが畑で育てた野菜も。


 



お母さんの作ったパンケーキはモチモチでとってもおいしいよ。


 でもね、お兄ちゃんたちと学校の近くの屋台


で食べる「アロスカルド」もだいすき!


 


※フィリピンのおかゆ。主にキリスト教徒の人たちの朝ごはんの定番





  1.  




私、<プリンセス>に選ばれたの!


幼稚園のときコンテストがあって、6人の候補者の中で一番たくさん


投票してもらったんだ!





投票するのは私たちのお父さんやお母さんたち。


投票の時にお金をって、そのお金で幼稚園のやいすを 買いかえたり、


かべやを直したりするの




お友だちの家に行くとおもしろいよ。


ごはんを食べる前に、の前で十字を切ってから食べるの。


私も家でまねしてみたら、お父さんは笑ってた。




好きな遊び? うーん、お化粧ごっこかな?


お母さんにないしょで口紅つけたり、マニキュアもぬったりして、


お友だちと見せ合うんだ!


 



 


ぼくはヌルヒダ、10才。実は兄妹の中で、ぼくだけ母親がちがうんだ。



でも今のお母さんは、本当にぼくを大切にしてくれるし、


弟や妹ともとっても仲良くくらしているよ。

学校へ行くのもいっしょ、バドミントンやバスケをするのもいっしょ。

でも妹のレイザのおしゃれ好きにはつき合いきれないけどね。



 


ぼくたち、ヤカンは、バシランでも独特の文化をもっている。

昔からの言い伝えやしきたりをとても大切に守っているよ。

昨年は、62才のおばあちゃんのティンバン()があった。


 




 おばあちゃんの体重と同じ分だけ、


やキャッサバなどをにかけて、重さをはかるんだ。


親せきが70人以上も集まってお祝いしたんだよ。


おばあちゃんの長年だったからね。


 



ティンバン:2月の土曜日生まれの人が、一生に一度、親族に囲まれて秤で重さをはかる儀式



 


 




ぼくはサミール、9才。お兄ちゃんと同じ小学校5年生だ。

絵を描くのが得意だよ。算数の宿題は、ヌルヒダ兄ちゃんに教えてもらうんだ。




学校の友だちは元気のいいやつばかり、しょっちゅうケンカがある。

ペンをとったとかしたとか、好きな子のことを冷やかしたとか・・・



ぼくの学校ではね、ケンカする子がいると先生が


「君たち、ピーステーブルに行ったら?」って言うんだ。

<ピーステーブル>というのは、教室のにおいてある机といすのこと。

そこでケンカしたもの同士が、ちょっと頭を冷やして話し合うんだ。



今ではケンカをしても、先生たちはむやみにたたいたりしないし、生徒たちは、

話し合うこと
の大切さを学ぶんだ。


 



 





 


 


 


 



私は3人の父親、モモイ・コホンボ、35才です。


 



 


私が生まれた1970年代には、北のルソンやビサヤから、


土地を求めてやってきた入植者()たちと、先祖の土地を守ろうとする


モロの人たちの間で、激しい対立があり、毎日ように殺し合いが起きていました


 




 


 


フィリピン政府は、キリスト教徒の入植者たちに支給しました。


彼らの中から「イラガ」(ねずみの意)という武装


集団ができて、もともと住んでいたモロの村人たちを追い出そうとしました。


多くの人たちが殺されたり、山の中へげたりしました。


 



 



ある時、私の父の村が「イラガ」にわれたことがありました。


ところが、偶然その中に、父の昔からの知り合いがいたので、


父は命をわれることなく、先に逃げていた家族とも


再会することができました。


 




その時の経験から、父は私に、


「決して復讐はするな!人を殺すな!」


と言い続けたのです。





 


開拓地や植民地にり住んで生活する人たちのこと






 



私は生まれた村のにあるロオク村の高校に通って


いましたが、イスラム教徒は私一人だけでした。


クラスの仲間とどのようにつきあったらよいのか分からず、


いつも、モロのシンボルのバロンという短刀を持ち歩いていました。



 


 




 


まわりからは


「あいつはアブナイだ」と思われていたのですが、


本当は心細くて、孤独な高校時代でした。 


 



 




 


村の友だちの中には、友人や肉親を殺された


しみから、イスラム教徒の武装グループに加わるものもいました。



 


しかし、私はその気にはなれませんでした。


父の言葉がどうしてもれられなかったからです。



 




 


 



17才のとき、カトリック教会が若者向けの対話集会を開きました。


私は、ただ好奇心から参加してみました。


 




モロの若者も、カトリックの信者も、言いたいことを言い合い、


いの話に耳をけていました。




土地を奪われたこと、家族を殺されたこと、


自分自身も心と体に深いを負った者どうしが…。


 


   そうか、私の心の中のどうしようもない


りや悲しみは、相手の心にもあるんだ。


 



その時、父の教えがはっきりと分かったような気がしました。





憎んでいる相手と戦って死ぬことが<ジハード>()じゃない。


自分の中にある怒りや憎しみとって、自分自身を変えることが


本当の<ジハード>であり、私が進むべき道ではないか、と思ったのです。




私はその教会の活動に参加するようになりました。


 


※『ジハード』の本来の意味は、「奮闘、努力する」という意味で、「聖戦」という意味は含まれていない。


 


 


 




 




今、私は「ナグディラアーブ」というNGOで活動しています。


有機農法を広めたり、学校に行けない若者たちが、


自信を持って生活できるよう手助けをしています。



 


 




 


 


 最近、私は村の議員にえらばれました。


キリスト教徒が圧倒的に多いこの村で、ヤカンが村の代表になるのは、


この40年で初めてのことです。


私は、村で様々な背景をもつ人たちの間のかけ橋に


なりたいと願っています。


 



11月の終わりには、「ミンダナオ平和週間」()があります。


ここバシランでも、どんなに紛争が激しい時も、毎年必ず開かれてきました





平和をつくるために何ができるか、子どもたち自身が考え、


いつの日か自分たちの手で、もっともっと大きな


「ピーステーブル」をいてくれるのを、見守りたいと思います。


 



 


 


 


 1997年以来毎年、ミンダナオ各地でいろんな人たちが協力し合い、


平和に関する様々な取り組みが行われている



 


 


 


 


 



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