トップ  >  アジアの子ども  >  紅茶畑のタミル

紅茶畑のタミル

 

 

 

 

 

 

―― 20年前のあの頃・・・  

 

スリバリはお母さんが紅茶畑に出かけるのを見送った。

   

スリバリ・パラマナザンはタミル人の女の子。

母スプレッチュミと10才年上の兄マヘンドランといっしょに、「グレートバレー・エステート」という大きなプランテーション<紅茶農園>に住んでいる。

 

この農園があるヌワラエリヤは、

世界でもっとも有名な紅茶産地の1つ。

 

らは農園の外に出ることはない。

学校、日用品店、製茶工場、診療所・・・

全てが農園の中にあるので、外の世界をほとんど知らずに一生を終える。     

   

 

スリバリの父親はいない。

スリバリが生まれた

家族をてて家を出ていってしまった。

 

母と兄の収入だけでは、生活が苦しく

朝ごはんを我慢しなければならない日もある。

 

 

紅茶摘み―― お母さん、

きっとおなかをすかしているわ  

                 

昼前に、スリバリは作りおきのロティ(1)をお母さんにける。

 

紅茶畑は傾斜のきつい山の中腹にある。

お母さんたちは、朝7時から夕方6時まで一日中茶葉をつむ。少しでも手を休めると、監督しくられる。

 

がいっぱいになると、それを背負って計量所まで運ぶ。

その日つんだ茶葉の量をってもらうためだ。

とても重くて、雨がったあとなどはぬかるみに足を取られてしまう。

   

一日に少なくとも16キロの茶葉をつまなくてはいけない。

もらえる賃金は、1キロにつき7ルピー。          

11時間働いても収入は112ルピーにしかならない。 (2)

                                               

たくさんつまなければ・・・

 

毎日毎日、このくり返し。

農園で働く女性たちにはこの仕事しかない。

                       

スリランカでは、お茶の新芽を1年に何回もくりかえしつみ取る。

ヌワラエリヤでは1月・2月がクオリティ・シーズン。

もっとも質の良い紅茶が取れる季節。

そして、お母さんたちが一番しい時期だ。

 

 

1 小麦粉を鉄板で焼いたパン。タミルの人の主食。ココナッツミルクや紅茶といっしょに食べる。

2 20年前の賃金。家族の一日分の食費にも満たない。(1995年当時の一日の食費は1人あたり26ルピー)

 

 

悪い環境  ―― また(となり)の家でけんか、どなり声なんてもう聞きたくない    

    

お母さんとお兄さんが仕事からもどるとスリバリはお母さんが夕食を作るのを手伝う。

 

スリバリの住む家は「ラインハウス」とばれる長屋の一部屋だ。

ひと間しかない部屋には、

かまどのが立ちこめてとっても煙たい。

 

電気がないから、かまどの火を消したらあとは寝るしかない。

       

隣近所からはいつも、夫婦げんかでどなりあう声や、子どものぶ声が聞こえる。

っぱらった男同士がり合いのけんかをしたりお酒を買うために、よその家のお金をむ人もいる。夜中に外の共同トイレになんかくて行けない。

 

衛生状態もとても悪い。    

だれかが伝染病にかかったりしたら、

たちまちラインハウス全体に広がり、

い子どもが真っ先に命を落とすことになる。

                    

それでも紅茶農園の子どもたちは、そんな暮らししか知らなかった。

 

 

  ―― お母さん、私、

名前が書けるようになったわ!  

 

 

 

7才になってスリバリは学校に通うようになった。 農園の経営者が作った学校だ。

 

生徒たちはみんな、農園のタミル人労働者の子どもたちで制服や教科書はもちろん、ノートや鉛筆も買えない子どもが多かった。

ガランとした広い教室に150人、時には200人もの生徒がつめこまれ、椅子もなく、教える先生はたった一人。

 

先生はとても厳しく、生徒がちょっとでも大声を出したりいだりするとすぐに教室から追い出す。

生徒たちは、いつも自分の両手で口をさえて

じっとしていなければならなかった。

         

 

それでもスリバリはうれしかった。

文字を読むこと、書くことができるようになった。

足し算、引き算、かけ算、り算・・・計算するっておもしろい!

 

この世の中には自分の知らないことが、いっぱいあるんだ!

勉強することがこんなにもすばらしいことだと知った。

 

 

  ―― もっともっと

勉強したいのに・・・ 

 

 

 

農園の外では、しい内戦が続いていた。

 

でも、スリバリたちタミルの子どもたちは農園の外のできごとなど、ほとんど何も知らなかった。   

 

ある日、学校に行くと、スリバリはクラスメートたちに取りかこまれた。

 

「おまえ 父ちゃんいないだろ!」 

「おまえの母ちゃん、捨てられたんだろ!」      

 

自分ばかりかお母さんまでひどい言葉でののしられ、スリバリは心が深くついてしまった。

   

もう学校へは絶対に行きたくないと思うようになった。

 

そんな時、今度は麻疹にかかり、

スリバリは何ヶ月も学校に行けなかった。

 

病気が治っても、井戸まで水をみに行ったり、

を集めたり、いつも一人でごした。

 

もっともっと勉強したいのに、

もう学校には行けないと思うとがこぼれた。

 

 

先生になりたい  ―― 最近、なんだか

お母さんが変わったみたい  

 

 

ちょうどその頃からだった。仕事から帰ってから、お母さんが近所の人たちと、どこかに出かけるようになった。HDOというNGOの人の話を聞き、熱心に話し合っていた。

 

そういう集まりからもどってくると、

お母さんの目がいて、生き生きとしていた。

今まで十分に教育を受けられなかったお母さんたちが、自分たちの暮らしを変えられるかも知れないと思い始めていた。

   

やがてHDOの人とお母さんたちが力を合わせて学校を作った。夕方から始まるその学校は、プランテーションの小学校とはずいぶん違っていた。

父親のことでいじめられることもなかったし、勉強も、先生が分かるまで教えてくれた。

 

何よりも違っていたのは、自分たちの問題を、自分たちで考えるということを教えてくれたことだ。

スリバリは子どもグループの活動に参加した。

 

スリバリは、また元の小学校にも通うようになった。

 

少しだけ<未来>が見えてきた。

 

 

 

 

 

スリバリの住む紅茶プランテーションの全体図

 

 

もっと教えて!!

 

 

スリランカにも昔からタミル人がいたの?

 

 

A植民地になる前から、大勢のシンハラ人と少数のタミル人が住んでいました。

このタミル人をスリランカタミルと呼び、後に、分離独立を求めた人たちの一部が紛争を起こしました。一方、植民地時代に南インドから移住したタミル人をインドタミルと呼びます。インドタミル人の中でも特に低いカースト(身分)にする人たちは、シンハラ人とスリランカタミル人の両方から差別を受けてきました。

 

 

農園ではどんな人たちが働いているの?

 

A農園の労働者の多くがインドタミル人の子孫ですが、シンハラ人も働いています。農園のマネージャーやスタッフ(茶畑で働く人たちの監視・監督、茶葉の計量・記録係、紅茶工場の責任者など)という重要な地位には、シンハラ人とスリランカタミルの人がつくことがほとんどです。

 

 

農園のタミル人は、農園から出て仕事につけるの?

 

スリランカでも就職するには学歴が必要ですが、義務教育以上の高校、大学に進むことは大変難しいです。憲法や法律の上では、身分や宗教の差別をなくす努力が続けられていますが、インドタミルの人々に対する差別は今もあります。インドタミル人というだけでってくれないことがほとんどなので、農園の外で仕事を見つけることは困難です。最近では中東諸国に、女性はメイド、男性は建設現場の作業員として出稼ぎに出る若者も増えています。

 

 

紅茶農園はこれからどうなるの?

 

 

保健や働く機会、生活環境など、まだまだ厳しい状況にあります。

しかし、女性や子どもの人権に対する意識の高まりもあって、農園の経営者の中には、労働者の人権を守ろうとする人も出始めています。また、NGOなどの支援により、自分たちの手で農園の未来を変えようという取り組みがなされています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日本のみなさん、こんにちは!  
今日、紅茶を飲みましたか?

言うまでもなく、毎日とても多くの人々が紅茶を飲みますね。

でも、開発途上の紅茶農園で働く人々とその子どもたちが、

どのような暮らしをしているのかということは、ほとんど知られていません。
開発途上国では、紅茶の生産にたずさわって生活している人々がたくさんいます。

みなさんがスリランカの紅茶農園で生活している子どもたちに興味を持ってくださったらうれしいです。

ここでは少女スリバリの物語を紹介しましたが、これはスリバリだけではなく、スリランカ、そしてアジア全体の紅茶農園の子どもたちの物語の1つに過ぎません

みなさんは、スリランカの識字が、日本に次いでアジア第2位だということを知っていますか?

でも残念ながら紅茶農園では、貧しく、満足にご飯を食べることができず、栄養不足で、教科書などを買うこともできない子どもがたくさんいます。お店や路上で働いたり、メイドとしてよその家で働く子どももいます。自身も子どもの頃にはこのような体験をしてすごしました。

 

現在、私はHDOで働いています。いつも紅茶農園の子どもたちとともに働き、スリバリが紅茶畑に変化の種をまいたように、ほかの子ども達が彼らの才能伸ばし、人としての権利を十分に認められるように活動しています。日本は美しい国であるばかりでなく、科学技術が発展し、教育の機会に恵まれています。みなさんはまだ子どもですが、スリランカの紅茶農園の恵まれていない状態を変えることができます。紅茶がみなさんのところに届く中で、子どもたちに良くないことが行われていたら、それを正すことができます。すべての子どもたちが平等に扱われ、より良い教育を受けることができるよう、世界を変える力があります。
みなさんがその模範となってくださることを願っています。
  ”
大海も一滴の水から!


P. P.
シバプラガサム
HDO
(人間開発協会)

1997AHI国際研修参加者

 

ここに文字がくる

プリンタ用画面
前
エク・ムスティ・チャール~ひとつかみのお米から~
カテゴリートップ
アジアの子ども
次
トナカイびとツァータン