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バシラン島で平和をつくり出す人たち

デデットさん 2006年度国際研修研修生

国:フィリピン

地域:バシラン

団体:ナグディラアーブ

 

  

AHIは2010年より、フィリピンとカンボジアの元研修生との協力によって、彼らの草の根の平和づくりの取り組みについて調査研究を行っています。2011年11月30日から12月3日に、フィリピン・ミンダナオ島西部のサンボアンガ市とスールー諸島のバシラン州を訪問しました。バシラン州の元研修生の協力相手で、この地域で腹をすえて地道な活動を続ける人たちに出会いました。

職員 宇井志緒利

 

 深刻化する治安状況

10か月ぶりのフィリピン訪問、サンボアンガ・バシラン地域には1年半ぶりの訪問でした。ミンダナオ島西部およびバシラン州やスールー州では、相変わらず治安が悪く、政府軍とモロ・イスラム解放戦線との衝突や身代金を目的とした人質事件が続いています。2011年10月には、サンボアンガ・シブガイ州やバシラン州の南東部の町で軍事衝突があり、約2万人の避難民が出ました。

 

今回私がバシラン島を訪問した際には、マレーシアからの国際監視団員が現場検証調査のために島に入っていました。軍服を着てフィリピン人通訳を連れて歩く姿は、私が20年前にカンボジア滞在中に見た国連P KO軍を思い出させました。ミンダナオ西部のムスリム・ミンダナオ自治区の中でもバシラン州は、組織化した犯罪グループの拠点地として、他州の人たちから恐れられています。また、バシランから高速船で1時間余の対岸にあるミンダナオ西部の商業・観光都市サンボアンガ市でも、11月中旬に市内で爆弾事件がありました。治安の悪さから他州や外国からの訪問者が激減し、外部の目が入りにくくなると、この地域の治安はさらに悪化することが懸念されます。

 

私は、AHIの元研修生デデットさん(2006年国際研修参加)が代表をつとめるNGO・ナグディラアーブの特別な計らいで、バシランを数日間訪問することができました。州都の街中にある教会の研修センター敷地内やナグディラアーブ事務所以外の場所では声を出さないようにと言われ、訪間先では私が日本から来たことは伏せられていました。

 

ミンダナオ平和週間と他地域との温度差

この時期に私がこの地域を訪れたのは元研修生デデットさんから何度も聞いていた、「ミンダナオ平和週間」の様子と彼女たちの活動を理解したいと願ったからです。ミンダナオ平和週間は、1997年にカトリック教会が主体のNGOの呼びかけによって、サンボアンガで始まった活動です。その後、『カトリック・ムスリム宗教指導者会議』によって認知され、2001 年からは全国的な政府公認行事となりました。

 

どんなに軍の衝突があっても、治安が悪くても、この地域では毎年欠かさず11月末から12月初旬に様々な市民団体の協力によって企画実施されています。今年(2012年)も爆弾事件や戦闘が直前に起きましたが、予定どおり開催されました。

 

平和週間の最終日の夕方、サンボアンガ市街と海岸通りを2時間半ぐらいかけて歩く閉会の平和行進に、ナグディラアーブの職員3名とともに参加しました。様々な宗教を背景に持つ人たちが並んで歩くこと、それは、ミンダナオ紛争がキリスト教とイスラム教の宗教問紛争だというのは誤解であることを明らかにしています。最後尾が見えない程どこまでも続く老若男女の列。掛け声を出すこともなく、おのおのが手作りのポスターとたいまつを持ってひたすら歩くという静かな行進でした。それだけに、この地域の人たちが心底から平和な暮らしを、今望んでいることが感じられました。

 

毎年開会と閉会の行進参加者が増えており、今年はこれまでで最多の3万人が開会行進に、2万人が閉会行進に参加しました。バシランでも、今年の平和行進には2千人が参加したそうです。この地域では、11月を平和月間と位置づけ、学校での平和教育や宗教間対話、平和アートコンテストなど様々な活動が行われています。とりわけ、平和行進をはじめとする平和週間の活動は、この地域のメディアには大きく取り上げられています。しかし、ミンダナオ以外の地域ではあまり取り上げられていないようです。マニラでは社会問題に高い意識を持つ市民団体でさえ「そういえば、平和週間があった」という程度の反応です。

 

同じミンダナオでもダバオ市をはじめとする東部と、西部のサンボアンガ・バシラン地域とではかなり温度差があります。一部地域の特別な状況と考えられています。フィリピン全体の課題という捉え方が弱く、今何とかしなければならないという危機感が薄いようです。長く続くミンダナオ紛争の解決が遅れている理由もここにあります。

 

この地域の人々をつなぐ名物神父

フィリピン各地には、たいてい「平和といえば○○」という有名な人がいます。サンボアンガ・バシラン地城では、カルボ神父がその人です。スペイン出身ですが、40年前にバシランに派遣され20年問活動し、その後ローマを拠点にアフリカでの活動に関わった後、再び望んでフィリピンのこの地へ赴任しました。カルボ神父は多くの若者を育て現場で励まし続けています。

 

デデットさんも、ナグディラアーブを立ち上げるずっと前から、カルボ神父のもとで教育活動や地域のグループづくりをしていました。彼女にとっては、文字通り「お父さん」のような存在です。

 

普段着で、誰とでもわけ隔てなく接するカルボ神父の周りには、立場や宗教を超えて神父を慕う多くの人たちが集まっています。この地域の様々な立場の人たちと話ができ、仲介役としてキーパーソンであるカルボ神父も、日常的に様々な脅迫を受けています。そのため、外から中が見えにくい窓ガラスの車を自分で運転し、帰りの道も頻繁に変えているとのことです。いつ命が狙われるかもわかりません。しかし彼はこの地域を離れるつもりはないと言います。この地で人々とともに平和を実現するという使命を全うしようとしています。彼の献身的な態度は、デデットさんをはじめ多くのワーカーに、そしてその人たちが育てた次の世代の人たちへ受け継がれています。

 

私の訪問中にサンボアンガ・バシラン地域で活動している4つのNGOの合同会合がありました。4年前から毎年会議を開いていますが、会場は毎回サンボアンガ市内でした。今回はナグディラアープの受け入れで初めてバシランで開きました。その会場の持ち主は1年前に人質として行方不明になったまま、まだ帰ってきていないそうです。サンボアンガからの参加者の中には、対岸ながらバシラン島に来たのが初めてという人も少なくなく、前夜は心配で眠れなかったという人もいました。このネットワークの立ち上げと運営にも関わっているカルボ神父は開会式で、

「私たちはここに来てバシランの現実を実感すべきである」とあえてバシランで会合をもつ意味を語り、この会場の持ち主の家族のために祈りました。カルボ神父は、苦しみの中にあるバシラン島とそこに住む人々をこよなく愛しているのです。

 

 

バシランにもあった透明性のある自治

「バシランは汚職が蔓延し、地方自治はないに等しい」と再三この地域を知るNGOや資金援助団体、そして行政側の人たちからも聞いていました。訪問の2日目、ナグディラアーブの職員が、

会合の連絡をしにある村に行くというので同行しました。

 

州都イサベラ市から車で1時間ほどの海沿いにあるマルソ町タウンサイト村は、バシラン唯一の良い地方自治が行われている村とのこと。元高校教師という村長は、11年前の就任時からずっと毎月の収支状況を村役場の黒板に書き、通り沿いに置いてだれでも見えるように公開してきました。また、村レベルとしては珍しく、独自の村通信を定期的に発行・配布して晴報の共有をしています。ナグディラアープは近年この村に関わり始めましたが、このように外部からの指導なく自主的に透明性向上の努力をしているところは大変珍しく、「バシランで一番!」とのことです。

 

私もいろいろな州の村を訪れましたが、他州でもこのような例はそうはないと思われます。同町の他の村のリーダーたちは、「人気取り」「鼻高」などと、タウンサイト村長を煙たがっています。しかし、村内のインフラ整備やサービスがどんどん向上し、住民からの支持が高いのでそんな批判は気にしません。「びっくりするよ」とデデットさんに聞いてはいましたが、本当にこんなすごい村がバシランにあったとは驚きでした。

 

同時に、どんなに大変な状況にあっても、やろうという「人」がいればできるという希望を示されました。

 

自慢の村長を支えるたくましき女性たち

そんなタウンサイト村のカシニロ村長を支えるのは、教え子だった村役場で働く女陸たちです。二人とも村の女性連盟のリーダーでもあります。彼女たちは、ナグディラアープが主催した3日間の研修に参加していました。村議会の総務を8年前から担っているジョージーさんと、会計担当のルスさんは、いつも村役場の仕事のことを話し合っていました。

 

研修初日の夕食後の自由時間にも、宿舎の部屋でろうそくの明かりのもと、やっぱり二人は次週の仕事の段取りについて話していました。「適切に使えば、政府から下りてくる村予算で必要なことはできるはず」ときっぱり。村長、議員、職員もやることがたくさんあり、土日も休みなく働いているので、村役場はいつも開いているとのことでした。

「私たちの村の議員や職員は、地方自治についてしっかり理解しています。頼まれて、他の村の入たちに教えてあげることもよくあります」

「研修が終わったら、早く帰らないと。本当にやることがいっぱいあるの」

 

はきはきとエネルギッシュに語る彼女たちと家族のことを話していると、何と二人とも、3年前に家族が人質事件に巻き込まれた被害者であることがわかりました。一人は夫が旬の果物の買出しに行く途中に、もう一人は妹が仕事で訪問中に誘拐されたのです。知人や友人からお金をかき集め、何とか解放されました。その時のことを明るく、時に笑いも含めて話す二人に不思議な感覚をおぼえましたが、そのような事件が地元の人に日常的に起こっていること、その現実の中で人々は暮らしていることを思い知らされました。

 

 

 

「私は後悔しない」

今回の訪問中、もう一人忘れられない女性との出会いがありました。バシランで開催されたNGOネットワークの会合で、参加者がそろうまでの待ち時問に何気なく挨拶を交わした人です。

 

サンボアンガ市内で働いているその人は、2年前からこの地域のNGOネットワークの調整役をしているとのことでした。その人と「健康問題は立場に関係なく共通の課題か」という話をしていると、彼女が「人質事件の犯人も水と健康のことを心配していた」と言うのです。話が進むうちに、彼女自身が3年前に3か月以上もの間人質となっていた、元ナグディラアーブ職員であることがわかりました。

 

「えっ…」

私は聞いてはいけないことを聞いてしまったような気がしました。女性の人質がどんなにひどい目にあわされるかをいろいろな所で聞いていたからです。彼女は静かな声で淡々と話を続けました。長い拘東から解放された後、マニラで治療を受けたこと。その後このバシラン島に戻って元の仕事を続けたいと願いましたが、家族の強い反対で今は対岸のサンボアンガに住むことになりました。

 

私が「こうしてバシランに来ることは大丈夫ですか?」と聞くと、彼女はこう答えました。

「私はこの島の人間です。ここで育ち、18歳からずっと村づくりに関わってきました。この島に来るといつも自分の初心を思い出すのです」

「あの出来事は私のこれまでの人生に起きた1%のこと。そのために私の人生の99%を無駄にはしない。私の人生に後悔はありません」。

彼女の言葉は、強烈に私の心に響きました。

 

バシラン島で平和をつくり続ける

AHIの元研修生のデデッドさんは、バシランで生まれ育ち、ナグディラアーブの地道な健康づくり、村づくりをとおした平和づくりを様々な人たちとの協力で続けています。精神的外傷を癒す研修などの講師としても活躍しています。そんな彼女自身も様々な困難に直面し、脅迫を受け、時に癒しを必要とすることもあります。しかし、「どんな状況の中にあっても、自分が信じること・できることをやっていくだけ。取り組みを止めることはしない」と屈しません。

 

私はデデットさんの協力相手に出会い、デデットさんがその人たちと共に活動することによって励まされ強められ、またデデットさんもその人たちの支えになって、一緒にこのバシラン島で平和をつくり続けていることを実感しました。AHIは、このようなバシランに暮らす人々による平和づくりの取り組みの経験を、彼ら自身が掘り起こし記録する活動に協力しています。

 

デデットさんは、通常の活動に加え、予期せず起こる自然災害や紛争被害者の救援活動で大忙しの毎日。しかも不安定な治安状況の中で、調査活動にも様々な制限があり予定どおり進みません。それでもこの調査研究の意義を理解し、時間を作って活動をリードしています。

 

どうぞ元研修生のこのような働きを支えることを通して、バシランの人たちをこれからも応援してください。

 

AHI会報「アジアの健康」2012年4月号より 

2013年3月、カンナロさんが日本各地で講演をします!

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