トップ  >  AHIインタビュー 創立者 川原・元事務局長 佐藤

~AHIの発足・保健について~

Q. AHIを作ろうと思ったのはなぜですか?

川原:1976年の秋、私は日本キリスト教海外医療協力会(JOCS)から、ネパール中部の病院に、

短期協力のために派遣されました。勤務し始めた夜のこと、ドアを叩く音がして出てみるとうずくまっている女性が

いたのです。その女性はひどく苦しみながらそのままその場で亡くなってしまいました。

付き添ってきた人に尋ねてみると、病院まで2日間歩いてやっと辿り着いたとのことでした。

亡くなった女性のように、病院まで来ることができる人は、20%くらいしかいません。
その病院で働くスタッフのうち私以外は全て白人でした。私が唯一のアジア人だったこともあって、

ネパールの人々はとても親しくしてくれました。
たった3ヶ月でしたが、私に与えた影響は大きく、帰国後も「またネパールに戻りたい」という想いを強くもちました。

しかし、また外科医としてネパールに行くことにどれくらい意味があるのかを考えたとき、

それではいけないのではないかと思ったのです。

病院までとても遠く、病気がひどくなっても来られない80%くらいの人々のために何かをするべきではないか。

また、私のように医療面の海外協力のために派遣された人たちの帰国後、

日本にはその人たちを受け入れる場所がなかったので、いい病院を創りたいという想いもありました。
ちょうどそのようなことを考えていた時アルマ・アタ宣言(1978年)によって、

高い保健サービスよりも遠隔地などの状況に即した医療技術を提供していくべきだという考えが打ち出されたのです。

それはとても良いチャンスでした。 私は、直接処置をする医師を提供するよりも、その現場で人々が健康に過ごせるように指導することができる、「人づくり」が必要だと気付いたのです。

Q.AHIにとっての「保健」とは何ですか?

川原:私の中の「保健」は最初は医療の視点からの保健でしたが、それに対する考えの変革は発足後2、3年で起こりました。自分がいかに狭い考えだったのかが分かったのです。
現在でも、保健の中身そのものは変わっていないと思いますが、世界(アジア)の状況が変わってきています。

 

非常に大きな影響を与えているのが、やはりグローバリゼーションです。

ここ10年近く前から人々の生活が大きく変わってきました。
私がAHI、またAHIに関わる人々へ言いたいことは、日本人の生き方というのが分からなくなってきているということです。

それと同じくらいのウェイトで他人のために生きることを忘れているのではないかと思います。それを思い起こさせるような働きであってほしいと思います。

AHIに関わる人々がそれぞれの周りにそれを作り上げていって欲しいと非常に強く願っています。

アジアのかわいそうな人のためにする活動ではない、ということは私がネパールに行ったときから気付いていたことです。

アジアの人たちを鏡にして自分自身を見ているのだということが、共生の根本的な考えなのではないかと思います。

Q.AHIという名前だけで他には考えていなかったのですか?

川原:最初からAHIとは考えておらず、病院を造っているのを時々見に来ているうちに、車の中でさっと閃いたのがこの言葉でした。

その前は「日本国際保健医療センター」とか「日本国際医療センター」とかそういう名前を考えていました。

しかし、その名前を引っさげて厚生省(現:厚生労働省)に財団法人の申請に行くと、お役人に「『センター』は民間施設の名前には原則として付けてはいけない」と言われたのです。

どうやらそうでもないらしいのですが、そのときはそうなのかもと思ってしまったのですね。
なぜ厚生省が反対したのかは今になってわかりました。現在東京に「国際医療センター」があるのですが、それを作る計画がちょうどその頃始まっていたのです。

あまり私たちの活動にぴったりくる名前でもないと思っていたので、アジア保健研修所(AHI)に変えることになりました。 

~AHIの20年間の変遷~

Q.過去から現在に至るAHIの変化について、 川原さんはどのように感じていらっしゃるのですか?

(例:研修生の選考や、ボランティアメンバーの変化など)

川原さん:
最初の研修では、ファースト・エイド(ヘビに噛まれたらどうするか、予防接種など)をテキストを使って教えていました。

しかし、研修生からは「もうそんなことは知っている」と言われました。そのために、日本がどのように結核を撲滅していったのかということなどを話しました。

それに対する反応は、「日本だからそれはできたのだ」「日本がお金持ちになったからできたのだ」「我々のような貧しい国はおそらく日本の真似はできない」ということでした。

そこで、「では、皆の経験を話してもらったらどうだろう。それに対してお互いにコメントを言い合ったりしたらどうだろう。」と、考えたのです。
そして、研修を開始してから5年目くらいから、この方法での研修を開始しました。この方法が徐々に体系的に整えられて、現在の「
参加型研修」ということになってきたのです。
しかし、「誰かから教わるというのではなく、研修生として集まったいろいろな国の人々が、経験を共有していくことが大事であり、

研修参加者全員が、講師なのだ」という研修を毎年続けるうちに、その成果は一体何だろうかという疑問をみんなが持ち始めました。

15年くらい経って「成果は何か」と考えた際に、それは「研修生自身だ」ということに辿り着きました。

そして初期の頃から現在の研修生たちの活動をまとめたディレクトリーを、2001年に作成したのです。
では、なぜ研修にこだわってきたのかと言いますと、その活動に関わる人を育てようと自己限定していたからです。

できるだけ多くの人に機会を与えようと思い、1人1回だけの参加と取り決めました。また、研修参加者として自己推薦してきた方は研修生として日本へ招くことはありませんでした。

研修に参加してきた人たちはみなある団体に所属していて、研修後帰国してもちゃんと仕事があるという人々でした。

研修生にとってみると、一緒に研修を受けた仲間はとても大切な仲間で、いろいろな国から来ていますが、それぞれ連絡をとりあい、協力して支え合っていました。

過去、多いときには年間3回、研修生を受け入れていましたが、ここ最近は秋に1度のみになっています。 

 

Q.佐藤さんがご存知のAHIの変化はなんですか?

佐藤さん:
責任をもって
AHIを見ているのはこの5年くらいですから、その中での変化はそれほどありません。ただ研修の対象となる現地NGOの様子は変わってきたようです。

昔は現地NGOというと、村に滞在して現地の人たちと生活し、活動することが主な仕事でした。

しかし、今では村には村人自身のグループができたところも多く、NGO職員はその会合に出席して会を進行することくらいになったところも出てきました。

そしてかえって村のグループが活動しやすいように行政に働きかけたり、後ろから支える役割が増えたように見えます。

AHIに研修に来るNGO関係者はだいたい大卒の人や社会福祉系の仕事に携わってきた人々です。

 

Q.では、川原さんがご存知のAHIの変化はなんですか?

川原さん:
20年前の
研修生は、年も若く20代から30代前半でしたし、英語もあまり上手ではありませんでした。

非常に変わったなと思うことは、昔はカメラを持ってきている人が少なかったのですが、現在は研修生の殆どがカメラを持参しています。

研修生の経済状態も変わってきているのです。

 

 

 

Q.NGOからだけではなく、一昨年くらいから行政からの研修生も来るようになったのはなぜですか?

川原さん:
フィリピンの場合は、保健大臣が3代前からNGO出身の方になりました。保健において、NGOの知識と経験を行政に取り入れようという方針になり、

地方分権という方針で、地方にお金を渡して権限を持たせようとしました。また、行政間でもNGOに対する理解が変化してきているので、研修生として招いているのです。
カンボジアからの研修生も行政の人が多いです。なぜかというと、カンボジアにもNGOはあるのですが、なかなか育っていないからです。
行政といえば、最近
JICAとAHIが協力して行っているミンダナオ島(フィリピン)のプロジェクトは、AHIにとっても新しい経験でした。

ミンダナオ島に住んでいる人の多くはイスラム教徒で、しかも現在内戦が激しいところです。

カトリック系の団体やNGOの人たちでは地理的に入っていけないような、遠隔地に住んでいる研修生たちと、政府(JICA)のプロジェクトを通して関わることができるというのも新しい経験です。

また、そのひとつの地域において繰り返し人を変えて5年間研修をするという様式も、新しい活動でした。
以前はNGOと
ODAは仲が悪かったのです。しかし、ODAも非常に成長してきましたし、NGOもそれなりに成長してきました。

今後は、お互いの手の届かないところを助け合ってやっていくことが、とても大切だと思います。現在AHIとJICAで取り組んでいるプロジェクトに興味を持つ人は多くいます。

 

 

 ~NGOとして、AHIのこれから~

Q.NGOとして伝えたいことはありますか?

川原さん:
以前、何のために
NGOをやっているのかを他のNGOと話す機会がありました。その結果、一致したことは「世界平和」でした。

それぞれのNGOの特徴があるので、それぞれの立場から貢献していくことが大事になってきます。国益を越えたコミュニティーのための活動をしたいですね。

佐藤さん:
NPOのフォーラムがあって、その時に「行政でも
NPOでもNGOでも『誰かの代弁をしているんだ』」ということをわきまえないといけないという話がでました。


Q.これからAHIというのはどういう形で進んでいこうとしているのですか。
また、会員を集める際、またAHIという組織を広める際に、どのような方法で広めていくのかという展望などがありましたらお聞かせ下さい。

川原さん:
研修については、色々な国や地域から1人ずつ招くという研修はむしろ一部分になっていくと思います。国際NGOというのはアジアの中でも非常に少ないです。

その国だけのNGOとの繋がりもそれなりにありますが、過去の研修生を通じて、アジアの中でお互いを繋いでいくことがAHIの特徴でもあるし、

これから伸ばすべきものとしてやっていくべきだと思います。その例が国際ワークショップでの研修です。
そしてもうひとつは、今フィリピンで行っているような、NGOレベルだけではなく、NPO、NGOそして地方行政が集まり、ひとつの地域で研修をするということです。

アイディアとしてはかなり以前からあったのですが、本格的に始まったのは2001年くらいからです。

もう少しこれをやっていくと、研修に多様性を持たせることができるのですが、 私自身としては「人づくり」という理念から離れないように研修を進めていきたいです。
国内では、最初私を支えてくれたのは、本当にごく身近な教会とかの小さなグループの人々でした。

会員はすぐに2000人くらいになりましたが、最初から支えてくれていた人たちが、私と同じように年をとってきているので、若い人たちが支えてくれたらなと思います。

先日、会員分布の統計を出したら、60代/70代の人たちが多かったのです。そういう人たちは「年金生活になったのでこの辺でそろそろ…」という傾向もあります。

こういう状態のままやっていくのか、それとも別の方法でやっていくのかということは、そろそろ若い人たちに考えていってほしいと思います。 

 

 

 

~NGOとして、AHIのこれから~

Q.これからの国内活動の方向性はどうなっていくのでしょうか?

佐藤さん:
5年前まではいろいろと手を広げていましたが、それを一度整理しようということで活動を縮小しました。

国内は当初何をやろうかと考えながらも、一度は日本を離れた活動をしている時期もありました。しかし、現在は地域づくりというかたちでも一部注目されています。

日進市にあるひとつの団体として行政と協力してAHIの活動を伝えることもできますが、支えてくれている全国の会員の人たちがそれを賛成してくれるのかというと必ずしもそうとは限りません。

AHIは日進まちづくり研修所ではないのですから。
どこまでAHIの仕事としてやって手を広げるかというと難しいところです。地域に入り込むのはなかなか難しいですしね。AHIで地域活動検討をするということは理事会で決まったことです。

小学校の総合学習の話も出ていますが、AHIとしては自分から学びたいことを見つけてやってほしいなと思います。やるならば、今年や来年から少しずつ始まるのかもしれないですね。

 

 

Q.では、新しく会員になってもらいたい人に呼びかける言葉は?

佐藤さん:
いろんなところでAHIを説明するときに「アジア」「保健」「研修所」その3つのキーワードを使って説明します。
一番簡単に言えば、「アジアの健康関係の人の研修をしているところ」ですね。

アジアの人たちの健康を目指して、研修を通して「人づくり」をしているところです。では、そのアジアの人々とはどの人々なのか、健康とはなにか、人づくりとはなにかという説明にはたくさん補足が必要です。

川原さん:
私も佐藤さんと大体同じです。

 

~お二人の個人としての思い~

Q.なぜ川原さんは医者になろうと思ったのですか?

川原さん:
私はクリスチャンファミリーで育ちました。そのころは、聖書の内容に反発を覚えていたのですが、
修養会で聖書の話をもう一度学び、内容を再確認して、そこから人のためになることをしたいと考えました。
なぜそこで医師を選んだかというと、そのころ日本には戦争で大変な変革が訪れており、名古屋市にはまともに建っている家も少なく、今で言うホームレスのような人々で溢れていました。

それまでの価値観というものが崩れてしまったのです。「大人は信用できない。だから、我々は新しい日本を創るんだ!」という勢いでした。

今考えてみると「何か人のためになる」ということの一番手っ取り早い方法が医者になるということだったのかもしれません。

 

Q.医者をしながら両立してAHIをやろうと考えたのはなぜですか?

川原さん:
私も妻も医者でした。
AHIを創るということに妻は反対すると思っており、反対されたら辞めようと考えていました。しかし、彼女の方がむしろ乗り気になり、「あなたがやりたいんだったら、やろうやろう。」とけしかけてくれたのです。

大抵のことは意見が合わないのですが、そのことに関しては意見が非常にぴったり合ったのです。
しかし、AHIを創るに当たって、お金が無いし、会員もほとんどいない。その当時は借金をして病院を建てることができたので、初めは病院の中にAHIの事務所を置き、
研修生も病院の病室に泊まっていました。

その後1年経ってから今のAHIの建物ができたのです。1981年3月に病院ができ、1982年6月にAHIができました。

一人の人を大切に思うということは、医者として当然のことですが、AHIの仕事もそれと同じことが言えます。

マクロの視点ではなく、ミクロの視点で患者さんや研修生を見る、そのために医者を続けることも大事だと思ったのです。

 

 

Q.現在はどういう形で医師をしていらっしゃるのですか?

川原さん:
外来の患者さんを診るのは週に1日、半日で20人位の人を診ています。患者さんは固定していて、予約の患者さんです。

医者と患者の関係というものはなかなか切れないもので、その先生でないとだめだと患者さんは思うのでしょうね。

本当はそうではないのですが、そう思ってくださるのだから、「どちらかが死ぬまでその関係は続くのでしょう」と言っています。もう半日はホスピスの患者さん全員の回診をしています。
妻が創った
老人保健施設の施設長も、妻の健康がすぐれないため、2年前くらいからやっています。

 

 

Q.講演会もなさるのですか?

川原さん:
はい、やります。今まで一番多かったのは、
中学校英語教科書「Sunshine」にAHIのことが載っており、私のネパールの経験などが書かれていたので、それに絡んだ講演会です。

中学生からも手紙がきたり、講演の要請がきたりしますよ。

 

Q.AHIとは、川原さんにとってなんですか?

 

川原さん:
一言で言うと「私の実存」ですね。

 

~お二人の個人としての思い~

Q.佐藤さんはなぜAHIで働くことを決めたのですか?

佐藤さん:
大学生の時にネパールに行ってこういう仕事をしたいと思ったのですが、たまたま紹介でロンドンに留学することになったのです。

帰国後インドに行って働こうと思っていましたが、行くことはできませんでした。留学するまでは、医者と患者の他に保健ワーカーの存在があるなどとは考えていませんでした。

しかし、留学中多くのすばらしいアジア・アフリカの人たちとの出会いを通して、自分の国を支えていこうという人を育てる方がずっと意味があるのではと思うようになったのです。

それと同時に、実際に自分よりも能力があり、かつやる気のあるアフリカやアジアの若手医師たちの存在を目の前にして、参ったな、彼らにはかなわない、と思い知らされたのです。

自分がアジアへ行って何かをしてあげるなど、おこがましいという実感でしょうか。
ちょうどその頃、川原先生が
AHIを始めたことを知って、先を越された、と思いましたね。また、すごいことをやっている人がいるということで感服しました。

ある意味、医者の存在を否定した活動をしているなと思いつつ、限りなく近くにいこうと思い、医師を募集していたこともあって、1989年に国際病院に来ました。
8年くらいはボランティアや評議員として関わってきました。また、仕事では医療の限界も感じていたので、医療界以外のところで自分を試してみたかったということもあります。

現在医師業はわずかで、AHIの仕事にほとんどの時間とエネルギーを注いでいます。川原さんは創立者だから医師とAHIを両立できたのでしょう。
川原さんと共通だなと思う点は、アジアの人たちにはかなわないという経験をしたことですね。

川原さん:
佐藤さん本人では決して言えないことを言おうと思います。医師として一番大きな影響を自分に与えたのが実は、佐藤さんのお父様でした。

JOCSの生みの親でもある方です。AHIの常務理事もやっておられました。AHIの後継者にするならこの人だなと思っていたのが佐藤さんでしたね。

最初からAHIをやってもらおうと思っていたんですよ。

 

Q.個人的に、今後の夢があったら聞かせてください。

川原さん:
自分としては国際協力というものをまた違う形でやりたいと思っています。AHIとは違う形でやりたいのです。アジアの小さなボランティアグループと直接つながっていける活動をしたいです。
それと、最近は人間って一生成長し続けるのだなと、
ホスピス老人保健施設を通して感じています。

佐藤さん:
AHIでの夢はいろんな人が関わってAHIにアイディアなどを出し入れできる環境を整えたいです。みんなの考えを導けるAHIをつくりたいと思います。

個人的な夢はインドに行くような、現場に自分の身をおくことです。

 

 ~AHIの魅力、人づくり~

Q.若い人たちがボランティアとして関わることが増えてきましたが、それをどのように感じていらっしゃいますか?

川原さん:
先程、若いボランティアが2、3年やそれよりももっと長く関わってくれていると聞いて大変嬉しいです。

この頃少し心配しているのは、スピーチフェスティバルやオープンハウスに関わって、1回きりで「もうだいたいAHIのことは解ったから、さよなら」と、離れていってしまう人がいることです。

それはとても残念なことだと思うのです。また、AHIが行っているような活動を行う団体が多くあるので、目移りするのだろうと思います。
昔はAHIのような活動をしている団体は、特に名古屋付近では見当たらなかったので、ボランティアの方々がしっかり関わって、しっかり支えてくださっていました。

AHIにある特殊性といいますか、他にはなくてAHIにはある魅力は何か、ということをむしろこちらが作り出さなくてはいけないのではないでしょうか。
AHIが重視するのは、命であり、健康であり、それを大切にすること。そしてそれをみなさんにしっかり解ってもらいたいということです。

 

 

Q.AHIの人づくりについてどう考えておられますか?

 

佐藤さん:
AHIは「
人づくり」という、なかなかうまいポイントにこだわって、活動してきたと思います。だから「人づくり」はこれからもAHIの中心になっていくと思います。
それはどの「人づくり」か、ということになると、当然それは日本以外での、アジアの保健関係者の「人づくり」をしている、それに間違いはないのですが、

そのためには日本の人も視野に入れていくことが必要です。日本は資金を集めるだけの場所、というのではなく、活動に日本の人たちも関わる事が大切であることをずっと言い続けてきました。

たとえば、アジアの現実を知ってもらい、自分たちを振り返る場として、スタディーツアーなどを行ってきました。
さらに最近では、直接私たちが学ぶべきことも出てきています。フィリピンなどでは、
まちづくりというコンセプトと実務を見ると、日本よりもずっと進んでいたりします。
「健康な人づくりというのは、健康なコミュニティー」という点においては、日本はたまたま経済成長もあったので、あまりそのことを考えなくても現在まできてしまいました。

しかし、そうではない国を見ると、かえって日本が学ぶことがあるかもしれません。そう考えると「人づくり・まちづくり」ということの範疇に日本も入るかもしれません。こうして考えると、働きかける場所、人はどんどん増えていきます。
しかし一方で、果たしてどこまで活動するべきなのか、焦点を絞るべきではないのか、またどこまでをアジアと見るのか、どの範囲で人づくりをするのか、ということが、

AHIのひとつの悩みであり、チャレンジするべき課題としてあります。組織として、このような悩みやチャレンジに対して、

中心となる誰かが決めて、他が従うという運営方式で行くのか、それとも違う方法でいくのか、これはひとつのNGOのあり方としての課題です。

川原さんがAHIを始めた20年前よりも分かりにくくなっている部分もあります。これは、NGO、NPOともに、組織が大きくなれば、方針ができた当初からは変わっていくというのは当然なことなのです。
事務局長として、それを試すチャンスを与えられている者としては、ここでひとつやってみるべきでないかとも思います。もしくはそれがひとつのモデルになってくれたらいいなと思います。 

 

 

 

ありがとうございました。

 

 

 

 

 

2002/4 聞き手:アジぽんメンバー

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