6月下旬から7月初旬までモンゴルに出張に行きました。
私(髙田)にとっては、2007年以来、12年ぶりの訪問ですが、
AHIが職員を同国に送るのは初めてのことです。
今月は4回にわたってモンゴルのことをご紹介しますね。
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第一回目は、首都ウランバートル市の建築と街並みの変化について。
私はAHIに入職する前は建築業界にいて、2007年も建築(文化財保存)の仕事で
モンゴルに行ってたので、ここからスタートさせてもらいます。
ウランバートル市の中心に「スフバートル広場」というのがあります。
12年前、広場周辺でとびぬけた存在感を示していた建築物は、
広場の北側に鎮座する国会議事堂でした。
この建物は社会主義時代の1954年に政府宮殿として建設され、
民主化後の2005~2006年に大改装が行われ、現在の姿となりました。
広場の東側にはオペラ劇場がありました。ピンク色の外壁が目をひく建物です。
権力を誇示する巨大な国会議事堂と広大な広場の脇に、
ドールハウスのような建物が置かれているのに妙な感じがしたものです。
12年前のスフバートル広場は、特徴的な建物がいくつかあるものの、
どこかうら寂しい雰囲気をもつ場所だったように思います。
しかし今日の広場の周辺には、高層ビル建ち並んでいます。
その筆頭は、2011年、広場の南側に完成した「ブルースカイホテル」。
船の帆のようなフォルムとミラーガラスの外装は、
モンゴルの経済成長を誇るかのようです。
せっかくなら、国会議事堂、オペラ劇場、その他の歴史的な建物に “調和” した、
それが無理ならせめて “配慮” した景観づくりをしてほしかった。
作家・司馬遼太郎(故人)は「街道をゆく5 モンゴル紀行」で、
オペラ劇場について次のように書いています。
“当時のソ連は、旧満州でひっからげた日本人捕虜をモンゴルにも配給した。
モンゴルだけでその数は一万三千八百四十七人だったという。
二カ年の抑留中、そのうちの一割強(千六百八十四人)が死んだ。
かれらはあらゆる種類の労役に従事させられたが、
この国立中央オペラ劇場の建設もそうだった。
そういう知識さえなければ、どれほど愉快に、この一見石造ふうの重厚な、
しかし近づいてみればセメント製(といってもソ連の国内でも
戦後建築の多くがセメント製)の建物を眺めることができたであろう。”
でも今はもう、オペラ劇場と対峙して戦争の歴史を省みる雰囲気が
すっかり失われてしまったように思います。
広場周辺以外でも、街のいたるところで近代的なビルの建設が進んでいます。
その合間に社会主義時代の建物が残っていて、かろうじてモンゴルの個性を感じられますが、
これらも老朽化していますから、数年のうちに取り壊され、
他の国と変わらない街並みにつくり変えられていくのでしょう。
ガンダン・テクツェンリン寺周辺も、景観保全をしてほしかった。
いや、今からでも規制をかけるべき!
ガンダン・テクツェンリン寺は歴史あるチベット仏教寺院でしたが、
社会主義時代に宗教が弾圧され、民主化後に復興しました。
12年前はこの寺院の周辺に大きな建物がなかったのですが、
今は周辺に建物が建ち、窮屈そうにしてます。
職員 髙田