先日、朝日新聞に気になる記事があり、
あとでもう一度読もうと写真に撮りました。
一度読んだのですが、読み流すには何かが
ひっかかりました。
「たまたま」を生きる
猫とは—–人生である
タイトルからして、「何を言ってるんだ」と
思いません?
私は犬も好きですが、ネコはもっと大好き。
でも、ネコと人生を結びつけたことはありません。
妹のところのネコは腎臓が弱り、三日に一度
家で点滴をしているそうです。
保険の効かない動物の慢性的な病気の治療は
きっと経済的にも大変でしょう。
そういう事態になった時、自分の生き方や
価値観を問われるかも。
でも、人生そのものかと言われると、
どうだろう?
この記事を書いた岸政彦さんは、
たまたま職場で拾った二匹を連れ帰って、
以来、妻と自分とネコの4人家族で
20年を過ごしてきたとのこと。
「しみじみと不思議なことだ。
自分の人生の時間というものは、
おそらく人にとってもっとも大切な、
かけがえのない、価値のあるものだ。
限られたその時間の4分の1を、
たまたま出会った猫に差し出すのである。
そして、もっと不思議なことは、
それで後悔する人がほとんどいない、
ということだ。たまたま出会っただけの猫を
私たちは終生可愛がるのである。
猫は人生である。」
「私たちの人生も、すべての条件を比較して
最善のものを選んでこうなったわけでは決してない。
たまたま私たちは、私たちという存在に生まれついて
そして自分の人生を「生かされて」いる。
すべての人生が『最初で最後』であり、
もう二度とやり直しはきかないのだ」
「しかし、猫と人生は、完全に同じではない。
私たちは自分の人生にうんざりし、絶望し、
お終いにしたくなるときがしばしばある。
それに比べて猫というものは、あるいはもちろん
犬というものも、たまたま出会っただけだとしても、
完全な幸せを私たちに約束してくれるのである。
猫や犬は、人生以上のものだ。
だから私たちは、この宇宙に偶然生まれた
自分たちの最初で最後の短い人生のなかで、
たまたま出会っただけの猫や犬に、
その大きな部分を喜んで差し出すのである。」
ネコや犬のくれる完全な幸せ…、
ここにうなづける人は、「猫は人生である」も
受け入れられるでしょうか。
私の母は実家で一人暮らしをしています。
昔の大きな農家で、冬は寒い家ですが、
三匹の猫とコタツに入り、
また布団を分け合っているので、
気持ちは温かく過ごせているようです。
畑の野菜の成長ぶりも、庭のお花の可憐さも
幸せをくれますが、
家の中に、やわらかくて、温かくて、小さい存在が
いてくれる価値は、人口減少が続き、核家族も一般的になった
この日本で、もう一度見直されることなのかもしれませんね。
職員はさだ