生物学的な性差ではなく、社会の中での性差。
ジェンダーという言葉もずいぶん広がってきたと思う。
先日の新聞に「いま読むジェンダー研究史」
という記事があった。
性の不平等や暴力といった課題が#MeTooで
名乗り出た人たちの動きによってあらためて注目
を集めている。そんな中、大学院生や若手の研究者が
ベテラン研究者にインタビューをしたものをまとめた、
『ジェンダー研究を継承する』という本が出版された。
きっかけは、「若手研究者が「ジェンダー研究を「エスタブリシュメント」
(確立した権威)だと感じて驚いた。自分にとって切実な問題を
出発…に必死で道を切り拓いてきた先駆者たちと直接会って
話し、バトンを受け取ってほしいと企画した」という。
自分の切実さ、当事者の切実さ、そして自分がいかにそれを
共有することができるか。NPO法ができて20年。NPOもNGOも
それこそが根っこだと思う。
下は、90年代にネパールの団体が作った啓発活動のための絵。
私は、ジェンダーというとこれを思い出す。後ろの方で一人柴をかついで立っている女性。
これはいろんな社会の場面にもあてはまるだろう。
遠巻きにしか見ることができない、そんな人たちのことでもあるだろう。
切実さから遠くなってしまったとき、というか、
一人ひとりの切実さに照らしてみようとしなくなったとき、言葉も概念も
エスタブリッシュされ、一人ひとりの現実から遠くなってしまうのかも
しれない。
はやしかぐみ