3月9日(土)、ドキュメンタリー映画「あまねき旋律(しらべ)」の上映会には、
約60名の方に参加いただきました。
こんなに多くの方に来ていただけたのは、
「あまねき旋律」という作品そのものの魅力でしょうね。
見知らぬ土地へのあこがれ、そこでの人びとの暮らしへの関心をそそるのではないかと。
私はこの映画をみて、
今日まで伝統文化を大切にし、伝えてきた人たちへの尊敬と感謝の念を抱きました。
同時に「何世代かの後にはこの文化は消えてしまうのだろうか・・・」と思い、
しょんぼりも。
4月、映画の舞台であるナガランドが位置する、インド東北部に出張する予定です。
その地域で活動する元研修生とメールのやりとりを重ねています。
地理的にアクセスが困難であるため、特に開発が遅れていると書いてありました。
アクセスが容易になれば、いくつかの課題は解決・改善されるでしょう。
しかし同時に、これまでには存在しなかった問題の種がまかれるでしょう。
本作の監督、アヌシュカ・ミーナークシさんは次のように言っています。
あまねき旋律 公式ホームページ「監督インタビュー」より http://amaneki-shirabe.com/
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「映画に関していえば、私にとって重要なのは
伝統というような何かがきちんと引き継がれる、保存されるという事象ではなく、
そこのコミュニティーが変化にどう直面し、対応するのかということです。
経済的であれ、技術的なことであれ、変化は必然ですから。
ペク村は今まで2度、大きな変化を経験しました。
一度目はキリスト教が入ってきたとき。 二度目は戦争。
それぞれ、文化的な側面も含めてたくさんのものを失ったことは事実だけど、
コミュニティーとしての意識は、歌などを通じて、保ち続けることができました。
どのような変化であれ、人々がその変化に対してどう向き合ってきたかということ。
これから開発も進むかもしれないですが、
ただ言えるのはコミュニティー意識がとても強いということ。
その強い意識が保たれている限り、外からの力で壊されることはないと思います。」
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私も、文化は永久不変ではない、常に刷新されてきたからこそ継承されてきたと考えます。
でも、この先ナガランドが経験するであろう変化は、過去2回の変化:宗教や戦争 とは
まったく質が異なるものでしょう。
司馬遼太郎は「アメリカ素描」にこんなふうに書いています。
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「人間は群れてしか生存できない。その集団を支えているものが、文明と文化である。
いずれも暮らしを秩序づけ、かつ安らげている。
ここで、定義を設けておきたい。
文明は「たれもが参加できる普遍的なもの・合理的なもの・機能的なもの」をさすのに対し、
文化はむしろ不合理なものであり、
特定の集団(たとえば民族)においてのみ通用する特殊なもので、他に及ぼしがたい。
つまりは普遍的でない。」
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「普遍的なもの」「合理的なもの」「機能的なもの」がものすごい勢いで流入してきたとき、
ナガの人たちは、
コミュニティの意識を強く持ち続け、一つひとつ、ていねいな選択と決定ができるのか・・・。
あいにく今回のインド東北部出張では、ナガランドを訪問する予定はありませんが、
他州の遠隔地に行くことになっています。
こういったことも胸に、“現地”をみてきたいと思います。
職員 髙田
ご参加下さった方々におかれましては、
機材設定の不手際がありましたことのお詫びを重ねて申し上げます。